子供との向き合い方|離婚の話#2
どーも、やってきました友作です!
暗い重い話なので興味本意で見て欲しくないですね。もっと楽しい記事を見てください笑
参考になる人が少ないことを祈っています。
思い出しただけで泣きたくなる辛い記憶です。
忘れられない過去ですが、できれば思い出したくない過去です。
前作の続きです、前作はこちら↓
目次
- 別居しながら離婚交渉へ
- お互い限界 大喧嘩へ
- 調停離婚へ
- ほんとにこれでいいのか?
- ”大丈夫だ、しっかり子供にも話して、離婚後もしっかり向き合っていけば子供への影響は減らせる。”
- 離婚成立
- 離婚後〜3年後の現在
別居しながら離婚交渉へ
家を飛び出してから2日目以降夜中に電話が鳴ることは無くなりました。
子供が泣いていないのか、電話しても無駄だと思って電話してこなくなったのか。
少し話を巻き戻しますが、家を出る前に元嫁には離婚の意思を伝えました。
「子供が寝てから話がある」
「離婚しよう。このままやっていけない。子供の前で喧嘩ばかりして嫌だ。」
本心を伝えました。沈黙がしばらく続いた後に元妻からいわれたことは
「子供の為に離婚はしない」
でした。元妻にとっても今の生活は辛いが子供の為に離婚したくない。
「我慢すればいいよ」
その言葉の裏には私も辛いの我慢しているのだから、あなたも我慢するべきというのが元妻の言い分でした。
とても我慢できなかったので私が出て行く日を告げその日は寝ました。
お互い限界 大喧嘩へ
その後家に帰る機会があり、元嫁と何度か顔を合わした。
「何しに帰ってきたの?」
顔を見るなり喧嘩になるような言葉を吹っかけてきます。結局言い合いになりそそくさと家を出るしかなかったです。
「早く出ていって」
家を出る際に、私の背中に言葉を浴びせてきました。
この態度で離婚したくないというのだから理解ができなかった。
別居から3ヶ月後くらい経った時に事件は起きました。
この日はきちんと話し合いをしようと思って前もって伝えていました。子供を隣の実家に預けて2人でとことん話そうと思っていました。
やはり元妻の態度は強固なものであり攻撃的でした。
「勝手に出ていって無責任だ!帰ってくるな。」
私も頭にきてしまい
「じゃーお前が出ていけ!!」
最悪の言い合いに発展することに。。
完全に頭に血がのぼった私は怒鳴りつけていました。
「警察呼ぶよ!」
「呼びたきゃ呼べよ!!」
結局警察が来る事態まで発展してしまい隣の実家とご近所も騒然とする事態に。
警察には暴力などはないが、怒鳴ってしまったことを説明してお詫びをしました。
何が一番辛かったかと言えば、警察が子供の体を調べたことでした。
そう虐待がないか疑われていたわけである。
もちろん一切ないが子供に不安な思いをさせてしまったことが申し訳なかったが、当時の親2人は余裕が全くなく自分の意見を通そうと必死でした。
調停離婚へ
埒が明かないと思った私は調停離婚の申し立てを行いました。
調べてみると夫婦2人は顔を合わせることなく間に人が入ってくれて、全然お金もかからずできるみたいで。
調書もまとめてくれて、それが法的効力があるので打ってつけだと考えました。
初めて調停委員の方とお会いしたのをよく覚えています。
60歳を超えたであろうどっしりした風貌で真面目で真っ直ぐな男の人なんだろうなぁという印象でした。
「お互いに言い分があってこうしたいってのがあると思いますが、譲り合いが大事ですので。」
諭すように語っていました。
そもそも調停申し立てをしたからといって離婚が成立するわけではない。
あくまで話し合いの場を作ってくれるだけで双方の合意がないと離婚へと進まないのです。
どちらが悪い、正しいではなくどういう形をとって行くのか。
1月に1回の話し合いは、お互いの気持ちが対立していた私たちにはとてもいい場になりました。
貯金、親権、家、ローン、養育費、面会するのかなど話すことはいっぱいありました。
私はお金はいらないから別れてくれというスタンスでした。親権も諦めていたが、養育費は払うので子供には会いたいと伝えていました。
ほんとにこれでいいのか?
子供とも顔を合わすことなく、話が進むにつれ冷静になっていき、寂しい気持ちと不安が強くなって行きました。
もちろん子供への影響です。
- 片親になることで子供が寂しいのではないか?
- 愛情不足で非行少年になるんじゃないか?
- もしかしたら2度と会えなくなるんじゃないか?
- そもそも子供に会いたくないと言われるんじゃないか?
自問自答しても答えが出ないことが頭を離れなくなり、モヤモヤと苦しんでいる時にある本が目に止まりました。私は無意識に助けを探していたんだと思います。
子供の精神医学・精神保健の臨床医を45年経験された筆者の本。
帯に書いてありように、私も目次を見ただけで即購入しました。
◯子どものために離婚を我慢することは、親も子どもも負担になります。
◯子どもには、離婚による環境の変化や辛い状況を跳ね返す力があります。
”少なくとも私の臨床体験の中では、両親の離婚を引きずるような子どもには、これまで出会ってきませんでした。”
ひとり親でも子どもは健全に育ちます
シングルの人に限らずに親と子供の関わり方について書いてあるので、全親に読んでほしい1冊になってます。
大事な所は何度も読み胸が熱くなりました。
”大丈夫だ、しっかり子供にも話して、離婚後もしっかり向き合っていけば子供への影響は減らせる。”
そう思わせてくれたありがたい1冊でした。
その後の調停の場で迷いがなくなり、私の話すことも少し変わりました。
「面会は毎週子供の為にしていく。」
「子供が会いたくないといえば会わない。」
離婚成立
調停が始まってから4ヶ月くらい経って話がまとまりました。
特に調停調書に明記したのは
- 養育費の額(月5万)・払う期間(18歳になるまで)
- その他習い事と大学進学の際は都度相談して払う
- 面会(毎週1回or2回)
- 貯金は全て元嫁に
- 親権も元嫁に
って感じでした。
家のローンはローンの名義人が払うので要注意ですね笑
男は一歩間違うと全て取られてローンだけを背負うことになりかねない汗
一軒家もあげて私が出て行こうとしましたが、隣が実家だったので両親の反対に合い私が1人で住むことにしました。
特に話したのは面会のことでした。最初は会わせたくないと言っていましたが、何度か子供の為にと言って説得した結果、理解してくれました。
元嫁と調停委員の人には感謝しかないですね。
離婚後〜3年後の現在
離婚が成立して別々に暮らすようになって初めのころは元嫁は大変そうでした。
子供の友達と一緒にいてやりたいとの思いから、私の家の近くにマンションを借りていました。
元嫁は実家も離れていて頼れる人が少なく、正社員で働いていたので初めは体調を崩したりしたりで子どもを急に頼まれることがありました。
子どもも3ヶ月くらいは変化がストレスだったのか、母親のストレスが影響したのか何かを訴えていたようでした。
当時習い事でしていた英会話教室でずっと机の上に乗って授業を受けないという行動をしていました。(普段から落ち着きのない子だったがそんな行動は初めてでした)
とても心配でしたが、私が口を出すことはできませんでしたので、見守るしかなかったです。
3年後の現在はこうやってnoteを書いている隣で、小学校3年生になった子どもはゲームをしています。
毎週末変わらず会っていて今は釣りにハマっていて毎週釣りに一緒に行っています。
子どもは会いたいと言ってくれますし、私も楽しくて、他の何より大事な時間として接しています。
私の中でそれは変わることなく、これからも何よりも大事な時間として過ごしていきたいと思っています。(子供が会いたいと言ってくれる間は)
元嫁とは3ヶ月に1回くらい3人で出かけてます。この間はキャンプに行きました。(あまり顔を私は会わせたくない汗)
とまぁ結果的に離婚という形を取りましたが私はとても幸せですので、間違ってなかったなと思っています。
”子供には離婚後も「会いたい、大好き」と愛情を伝えます。見守っていることを態度で伝えます。”
自由に生き生きとした姿を自信を持って子供に見せれているのかな。
そう思って自由に楽しく生きていくよう心がけています。
長くなりましたがこの話が離婚で苦しんでいる方、離婚しようと悩んでいる方に届いて助けになれば幸いです。
質問などありましたら、コメントでお答えします。
最後までどうもありがとうございました。友作でした!